芝生見学会in北上(2022.10.20)日本芝草学会
今週2度目の芝生の出張は岩手県です。
芝草学会主催の岩手見学会に参加します。
集合時間は9時前。新幹線始発では間に合わないので前泊です。
初岩手。山に囲まれ川が流れいいところ。
当日朝、北上駅に集合して9時出発です。
第一目的地北上総合運動公園につきました。
第1種公認陸上競技場、第一運動場(投てき場)、陸上補助競技場が天然芝です。
メインスタジアムは改修工事中で中には入りませんでした。
めづらしい高麗芝にライグラスのオーバーシードです。
気持ちよさそうな向かいの観客席は野芝にライグラスだそうです。
こんな場所で見学できたら、試合が終わっても帰りたくないと思っちゃいそうです。
投てき場フッカフカ。ラグビーW杯の時はウルグアイの練習場でした。
柔らかなライグラス。いつもならまずは寝てみよ、でゴロンするところですが今回はいつもの相棒は休み、一人だったのでちょっと憚りました。
寝転びたいくらい気持ちよさそうな緑でしたよ。
次は 遠野総合運動公園です。
遠野、その昔柳田國男の民俗学で知った場所。いつか行ってみたいが叶い嬉しい。
この運動公園は震災時全てが自衛隊の救援部隊の基地だった場所です。
もちろん救援優先です。
芝生は荒れ果てましたがその後このように復活されていました。
グランドキーパーさんたちの芝生を通しての復興に尽力される姿に胸が熱くなりました。
冬芝は3種類
ホールカッターで根っこの様子を拝見
野球場では改良野芝が採用されています。
参加者みんなプロの方ばかり。質問内容も専門的。タネの配合バランス、農薬の種類、砂の種類、刈り頻度、土壌の深さ種・・・専門用語ばっかりの会です。さらに移動のバスの中でも質問会は続きます。
なんじゃこのマニアの会と、知らない人からは見えるでしょう。
しかし筆者的には(全て理解できるわけではないのですが、それでも)もうその全てがワクワク面白い話です。
さて、また移動し、次は釜石鵜住居復興スタジアム。
こちらは津波が来た場所です。元はここには釜石東中学校・鵜住居小学校があり、600人の児童生徒が一緒に逃げた場所です。津波避難に関しての工夫備えが随所にされていました。
綺麗に整備された芝生地の横が雑草園で、これはグリーンキーパーさん泣かせ。
w杯時は貴賓室として使われた一望できるお部屋で説明を受けました。
こちらの芝生は土壌に特徴があります。砂ではなくエアファイバーという繊維が絡まったものを使っています。ラグビーというスポーツの性質上、タックルやスクラム時に安易に芝がえぐれないように、この繊維に根っこが絡むので砂よりもえぐれにくそうです。確かに強度はとても強いものだそうです。
堤防で見えなくなっていますが、すぐそこ(写真左上)が海。
津波時に駆け上がる林道
芝生に降りてみます。
メインスタンドの観客席のベンチは旧国立競技場・熊本県・東京ドームから寄贈された600座席。絆シートと呼ばれてるそうです。
こちらは釜石市で2017年に発生した火災の被害木である杉の木800本で作られた木製シート4990席分。
芝生に入る前に靴の裏の消毒
ホールカッターで特徴ある土壌を見ます。
こんな色白土壌初めて見た!綿ではない化学繊維の綿です。
見た目はハーゲンダッツのクッキークリーム。保水性が強いそうです。
お昼はここで、ロッカールームで食べるもよし。
少し肌寒いですが、観客席で芝生を眺めながらお弁当を食べました。
芝生見ながらって、最高ですもん。
こちらの芝生はグランドキーパーのご苦労並々ならぬものがありました。
次へ移動です。
高田松原運動公園、奇跡の一本松球場(楽天イーグルス)
沿岸部。被害のあった町は全て一新されていました。写真右の林の真ん中くらいまで波がきたそうです。
内野と外野の間は段差ができてしまうので整備は難しそう。
サッカースタジアムとは別のご苦労がありそうです。
気持ちの良いお天気と芝生の緑が最高です。
波はこのライトのすぐ下あたりまできたそうです。ライトの上にしがみついて難を逃れた方の話を聞きました。
芝生は土壌の中に石がゴロゴロと多くエアレーションも進んでは止まり、その度に手で取り除くご苦労を繰り返されているそうです。プロの現場でも私たちの現場の公園芝生のような作業があることにおどろきでした。そしてそれを取り除くのもまた手作業というのも公園と一緒。
311直後、筆者は東京の自宅近くで同じ思いの人と住民から物資を集め仕分けし東北へ送るボランティア団体を結成してました。まだ子供も小さく手がかかっていたので、いつもは物資を送る作業がメインでしたが、2度だけ陸前高田市より南の石巻市・南三陸へ2トントラックを友人と交代で運転し、311後の4月と、5月のGWにおにぎりと豚汁の炊き出し、物資をお配りしたり、避難されてる皆さんへのハンドマッサージに行ってたことがあります。当時まだ仮設住宅もなく皆さん体育館で寝泊まりされていた頃です。被災地は生々しく船が内陸まで乗り上げて、建物も全て流され、残っていても垂直に立ってるものがなかった。東京に戻りビルもマンションも信号も垂直に立つ当たり前の姿を見て、この垂直がいかに奇跡的なことかと思ってました。
そして毎回帰りの車の中では皆いつも口数少なく呆然とし、無力を感じ、とにかく大きな力でどうか早く被災した人にお家を、早く元の暮らしを、それまで体育館であった皆さん元気でいてください。と祈っていました。
今、流された場所には新しく道路ができて、新しく区画で町の準備が整っていました。
全てが新しい。
しかしながら、当たり前ですが、元の故郷から様変わりした場所に住む、皆さんのこころの中の傷は決して外からは見えず、全て元のままではないことを思い馳せます。
絆、絆、と言われます。
そうです本当に絆って大事です。
一過性のものでなく、もうずーっと続いてゆく、真に、誠に、皆さんが、人と人がつながり、人生の喜びを共有しあえて、悲しみを支えあえ、そんな安心できるコミュニティが、心理的安全な居場所が、皆さんに1個でも2個でもいくつもありますように・・・と今は祈ります。
最後の見学は東日本大震災津波復興伝承館です。
奇跡の一本松がある場所です。350年の年月をかけ7万本の松林があった場所。それが一本だけ残りそれも根が枯死してしまいました。嘘のような穏やかな海でした。
こちらの芝生エリアは自動芝刈り機が稼働していました。
献花台で安らかにとお祈りをして、一同北上駅に戻りました。
当たり前ですが岩手県は寒冷地。
寒地型芝生がメインの芝生育てはとても興味深くたくさん学びがありました。
企画してくださった日本芝草学会副会長様、広報委員様、
現地を案内してくださった平野ターフ様、
本当にお世話になりました。ありがとうございました。